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ギョーカイ徒然日記
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変化したい、向上したいと願う人々は多い。
しかし、環境を変えたり外見を変えるという事は、
相当の勇気と意志、そして大きなきっかけが必要である。
まして、アーティストとなれば、
知らぬ間に大きく膨れあがるパブリックイメージに苛まれるあまり、
自分の殻を破るどころか、
下手をすると致命傷にもなりかねない。
かといって、巧く時代の波に乗っていかなければ、
めまぐるしく変化する昨今の音楽シーンの中で取り残されてしまうのが現実…。
そんな事を思っていた矢先に、
六本木ヴェルファーレでSADSのアルバム完成記念パーティーが行われ、
足を運んだ。
それは日本では珍しいファンを交えての新作お披露目会だった。
新曲をいち早く聴けることと、 メンバーのトークライブが行われるというだけあって、
会場は早くも熱気と興奮に包まれていた。
その新作は、明らかに以前のSADSとは違っていた。
ハードかつヘビーにうねるギターやベースの中に、
艶めかしさが所々散りばめられている。
その音はグラムでもラウドでもヘビーロックでもない、
SADSというバンドでしか出せない音だった。
清春のトークで印象的な言葉があった。
「SADS=清春というイメージを覆した作品に仕上がって…」。
確かに、
SADS=清春というイメージは我々リスナーの頭の中に頑なにたたき込まれている。
彼はその固定概念に苦しみ、悪戦苦闘していたのだ。
黒夢解散後、結成したSADS。
再びバンドのボーカリストとステージに立った。
そして、ロックに対する初期衝動を表現した『SAD BLOOD ROCK'N'ROLL 』、
少年清春の内面を描いた『BABYLON 』をリリース。
しかし、それはあくまでも清春のワンマンテイストに過ぎなかった。
そして葛藤を抱えながらいくつかの出会いと別れを繰り返し、
ようやく、
「死んだときに一緒に棺桶に入れてくれと思える作品」(アルバムの紙資料による)
を完成させたのだ。
アーティストは独特のオーラを醸し出しているせいか、
我々リスナーとはかけ離れた存在として見られがちである。
しかし、アーティストとて一人の人間。
みな悩み、苦しみ、自分を高めていきたいと思っているのだ。
その糧として音楽家という職業を選択し、
アルバムはその成長記録であり、
同時に内面を映し出す鏡であり、
その時の精神状態の全てが封じ込められている、文字通りレコード。
しかし、残念な事に昨今の音楽シーンは曲の善し悪しよりも、
アーティストの存在感がセールスに強く左右されがちである。
当サイトでは、そんな風潮や慣習にとらわれず、
公平な立場で良い音楽、そして素晴らしいアーティストを紹介していこうと思っている。
一つの概念に縛られることなく自由に音楽を楽しみ、
素晴らしい楽曲との出会いを、
自分自身を成長させるちょっとしたきっかけにでもしていただけたら幸いである。