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ギョーカイ徒然日記

取材日記 <KAN 編>

NYで起こった同時多発テロはかなりショッキングな出来事だった。
 だけど、問題の発端を掘り下げていくと、
 かなり深刻で根深いところまでいきあたってしまうので、
 軽々しい発言はできない。
 ひとつ言えるのは、恐ろしい世の中になってしまったということ。
 無差別に人を傷つけることもそうだが、
 事の真意を何も知らない我々が、
 情報操作に踊らされているかも知れないということもまた恐ろしい。
 いったいどのメディアの情報を信じればいいのだろう?


先日、約10年ぶりにKANを取材する機会があった。
 10年ひと昔どころか、今は5年ひと昔、
 ヘタすれば3〜4年前のことも“昔”に思えることだってあるご時世だけに、
 10年も経つとアーティストをとりまく環境も激変している。
 以前彼に会った時は、「愛は勝つ」の爆発的大ヒット で、
 彼が国民的アーティストになる直前だった。
 その頃すでに、アーティストとしての勢いは感じていたが、
 彼自身は地に足のついた落ち着いた物腰であれこれコメントしてくれたことを覚えている。
 そして10年以上が経った今、彼の人柄や姿勢はほとんど変わっていなかった。
 変わったことは、
 以前ほどの勢いに比べると作品自体の訴求力が幾らか弱まってしまっていることか。
 だけど新作アルバムを聴いた限りでは、
 1曲1曲にこめた情熱とユーモアには翳りはなく、
 単に若き新興勢力におされて彼の存在が見えづらくなっているだけのような気もする。
 彼独特の毒とユーモアと男の純情具合は、何ら変わっていないし、
 もしかしたら、以前にもましてピュアになった感すらあるくらい。
 だけど…、
 彼は少しばかり病んでいた。
 作品作りが思うように進まず、少々足踏みしていた。
 ところが彼はこのことを隠すことなく、正直にコメントしてくれた。
 以前のような曲作りがままならず、苦悩しているのだ、と。
 そんな自分を彼は包み隠すことはしなかった。
 気取らず飾らないありのままの彼を知ることができて、
 インタビュアーとしては嬉しかった。
 取材は終始そうしたトーン で進んだ。
 つまり彼の苦悩は現在進行形なのである。
 もちろん、インタビュー原稿のトーンも彼の苦悩色に貫かれた。
 それが今の彼の正直な姿だからだ。


ところが、である。
 そのインタビュー原稿に大幅な事務所チェックが入った。
 アーティストのネガティウ゛な要素は表に出したくない、と。
 気持ちはわかる。
 だけど、今回の彼のインタビュー・コメントからネガティウ゛な要素を取り除いたら、
 使えるコメントがなくなってしまうくらい、彼は悩んでいたのだ。
 読者に嘘はつきたくない。
 彼のリアルな心情をお茶を濁すような形でぼやかすのは不本意である。
 それは僕個人もそうだが、アーティスト側だって居心地悪いんじゃないかと思う。
 それを、さも健全な精神状態から生まれた作品のように、
 (原稿の)内容に手を入れるのはどうかと思う。
 いわゆる“情報操作”である。
 だからといって、KAN自身を非難するつもりはまったくない。
 彼は正直に答えてくれたわけだし。
 その、自分たちの都合を優先して事実をねじ曲げよう、
 あるいは包み隠してしまおうという姿勢が嫌なのである。
 一事が万事。
 今回、こういうチェックが入ったということは、
 いろんなケースで、おこなわれていると疑わざるを得ない。
 事実、原稿チェックはあらゆる媒体において日常茶飯事であるし。


そんな操作された情報に左右されてしまうのはまっぴらである。
 当サイトは、そんな圧力にも屈せず、真実を伝達するためには
 常に牙をむいていたいと、あらためて思う。

 

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