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ギョーカイ徒然日記
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日本のポップス&ロックシーンを長きにわたって支えてきた、
天才肌のピアニスト(キーボードプレイヤー)深町純に会った。
彼のいっぷう変わった人柄が滲み出たインタビューの詳しい中身に関しては、
3月22日発売の「月刊piano 4月号増刊」(ヤマハM.M.刊) を参照していただきたい。
ただ、そこでは紹介しきれないくらい、
彼はたくさんの興味深い話を聞かせてくれた。
その一つに、
鳥の刷り込みの話があった。
刷り込みとは、
鳥類や哺乳類にある、
生後のごく早い時期に、
身近に目にした動く物体を親として追従する、
(=最初に目にしたものを親として認識する)
特殊な学習能力のことをいう。
これは他の学習と異なり、一生持続するものらしい。
人間にもそれに近い現象があって、
言語を含めて、5〜6才までの間にどういう環境にいたかが、
その子の人としての基盤を作り、同時に一生を左右するのだ、と。
だから子供を真剣に音楽の道に進ませようと思うのなら、
音感教育は、遅くとも5〜6才までに始めるべきだ、と。
興味を覚えたのはその“刷り込み”。
最初に認識したもののインパクトは強く、
あとでそれを別のものとして認識し直すのは大変だということ。
音楽シーン、あるいは芸能界にも、同じことが言える。
なにもこれは今に始まったことではないが、
ミュージシャンと役者という二足の草鞋を履くアーティストがいる。
最近ではLIV(押尾学)、藤木直人、福山雅治、織田裕二らが代表格か。
ほかにも藤井フミヤ、江口洋介、陣内孝則…etc.らがいるし、
このところ役者業に足を踏み入れる音楽家たち
(例えば松岡充、宮本浩次、トータス松本などなど)を含めると、
枚挙にいとまがないほどである。
だけど、多くの場合、世間の認識はどちらかに偏っている。
フミヤはミュージシャンだし、織田裕二は役者だし、
藤木も役者、トータスはミュージシャン…、
なんとなくバランスが良さそうな福山でさえミュージシャン寄り
(どっちつかずの印象もあるが)だ。
きちんと両立できている人はいない。
なぜか?
一般大衆の感覚器の中に、
役者かミュージシャンかのどちらか一方の立場で刷り込まれているから、である。
仮に、最初に役者として認知され(あるいはブレイクし)たら、
いくら音楽活動を積極的にやったところで、
その人は役者としてのイメージを一生背負っていくことになる。
音楽活動に対してどんなに意欲的で、両立を目論んでも、
“所詮役者でしょ?”といった見られ方をする。
余談だが、松田聖子は最初にアイドルとして認知されたせいで、
どんな名曲を歌ったところで、
本格派ポップヴォーカリストというよりは、
40才になった今も相変わらず“アイドル”視されてしまう。
深町純の言った刷り込みの影響力は、思いのほか大きいようである。
なのにそういう傾向を知らなすぎる“役者”が多い気がする。
ちょっと前に、CDデビューを飾る直前の押尾学を取材する機会があった。
結局彼は、押尾学という名前ではなく"LIV" というアーティスト名でデビューした。
「役者でちょっと売れたから音楽もやってんでしょ?、と思われたくないから」
という理由からだった。
気持ちはわかる。
音楽活動もする役者の多くは、たいてい似たようなことを言うし。
だけど、結局雑誌には“LIV(押尾学)”として紹介される。
本当に“役者としてちょっと売れたから…”と思われたくないのなら、
“押尾学”という文字が出ることを許しちゃいけない。
そこまで徹底しなければ、
「役者でちょっと売れたから音楽もやってんでしょ?、と思われたくないから」
という発言の意味も説得力もまったくなくなってしまう。
“所詮<押尾学>の知名度を利用したいんでしょ?”と思われてもしょうがない。
ただ、曲を出す以上、ビジネス的にも成功させなきゃいけない側面があり、
まったく名前を出さないわけにもいかない現実があるのだから、
強がった発言をするだけ、逆に滑稽に響いてくる。
「役者でちょっと売れたんで、音楽もやってみました」
なんて笑って言ってもらったほうが、可愛い気があるというもの。
彼もまだまだ若いということか。
まぁ、ここでは押尾学を例に挙げたが、何も彼だけに限ったことではない。
もちろん当J-POP 花前線サイトでは、
役者だから、音楽家だから…といった偏見含みで音楽を聴くことはない。
役者だろうがミュージシャンだろうが、
優れた音楽には賛辞を惜しまない。
ただおしなべて、
世間的なイメージの中に“役者”として刷り込まれている人たちの音楽作品は、
知名度に頼った、ひとりよがりのものが多い傾向にある。
それは、
音楽に対して命をかけるほど真剣に取り組んでいるミュージシャンたちに、
失礼である。
売れることは悪いことじゃない。
だけど売れることが正義なのではない。
売れることとミュージシャンとして認められることは全然別のこと。
だからこそJ-POP 花前線では、
音楽性(楽曲)あるいはアーティスト性を、
正当に評価していきたいと思うのである。
J-POP 花前線編集部/Nk