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ギョーカイ徒然日記
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気がつけば前回の更新から1年が経っていた。
まずは言い訳を。
別に怠けていたわけではない。
当サイトで誰の顔色を伺わない意見を自由に発信することに対して、
ギョーカイ内外から様々な意見を頂いた。
人の褌で相撲をとるな、とか。
評論に客観性などあり得ない、とか。
もちろん好意的な意見はさくさん頂戴した。
“言論の自由”を楯に感じたまま思ったままを文字にすることの功罪、
メリット、デメリット…を考えてもみた。
そして気がついたら1年が経っていた。
というのが本音である。
話題を変える。
先日、イラクで2人の日本人ジャーナリストが亡くなった。
ご家族は気丈に“戦場ジャーナリストとしては本望だったのでは…”
と語っていた。
“覚悟はできていたはずだ”とも言われている。
確かにそうなのかも知れないが、
やはり人の死は少なからずの悲しみといたたまれない思いを連れてくる。
望んで散ったわけではない無念さは必ずあるはずだ。
一方で、命を賭けたジャーナリスト活動には頭が下がる。
彼らが残した映像や文章に、このうえないリアリティと説得力があるのは、
命を危険にさらしながら取材し撮影し執筆した気概と誇りのせいのように思う。
そこで自らをかえりみる。
音楽ジャーナリズムのヌルさ加減に悲しくなった。
もちろん、命など張ってはいない。たぶん張る価値もない。
なぜなら、真の意味での音楽ジャーナリズムなんて、
この国には存在しないからである。
どういうことか、
大手出版社の雑誌にせよ、大新聞にせよ、
絶大な影響力を誇るテレビ・メディアにせよ、
そのほとんどが、アーティストやその作品の宣伝活動に終始しているからだ。
どんなに駄作であっても、何の魅力もない人であっても、
ホメなければ始まらない。これってジャーナリズム?
飼いならされた犬猫が餌をもらって尻尾を振っているのと同じではないか?
だから軽く見られる。だからギャラだって安い(ちょっと勢い余ってしまった)。
音楽の価値、音楽ジャーナリズムの価値ってそんなものなのか?
音楽をこよなく愛する者としては、辛い現実である。
そこで決意。
当サイトでは、高い志をもって真の音楽ジャーナリズムを確立するべく、
実践していく。
大手プロダクション、大手レコードメーカーから圧力をかけられても、
心ないファン、リスナー、閲覧者から揶揄されても、
屈しないでいたい。
2年前にこの「徒然日記」のコーナーで、
<掲示板の意見に寄せて>と題して綴った中身をあらためて思い出す。
音楽の影響力を信じ、音楽をこよなく愛する者の一人として、
キラリと光る才能やセンスが、一部の流行歌とそのプロパガンダの狭間に埋もれて、
正当に評価されない音楽シーンの現状を憂える気持ちを持ち続け、
より魅力的な音楽シーンになることを夢見て…。
J-POP 花前線編集部/Nk